組織やコミュニティなど、人が集まれば、意見の相違や対立など、いろんな問題が起こります。
生い立ちや育った環境はもちろん、そもそもDNAが違うのですから、思考や価値観なんて違っているのが当たり前でしょう。そこに、あらゆる経験や学びなどが積み重なり、自分という『個性』が形成されるのです。
それら個性は、あちらこちらで出会っては別れ、融合しては分離して、といろんな科学反応を起こします。1+1が3にも5にもなるような、互いに高め合う関係にもなり得るし、駆け引きし合い騙し合い足を引っ張り合い、互いにモチベーションを下げ合ってしまう関係もあるでしょう。派閥ができ対立し、諍いが起こるかもしれません。
すると、そこにいる人たちの関係性が良好であるようにと、その組織なりコミュニティには、『ルール』ができます。会社ならば社則。学校ならば校則。それを守ることで、程よい関係性が保てる、、、はずが、ルールを守らない人も当然出てくるわけです。
今度はどうするでしょうか。
①ルールをより厳しくする
②ルールを守るよう、教育に注力する
これは組織運営側からしたら、当たり前の措置と言えます。しかし、視点がここにとどまってしまうと、そこにいる人の選択肢は、それに従うか従わないか、また、従っているフリをして、隠れてルール違反をするか、のいずれかになってきます。従わないということは、その組織からの脱却を意味します。そう、組織やコミュニティに気持ちよくいられることが目的の【メンバーの為のルール】だと思っていたのが、いつの間にか、ルールを守らせることが目的の【組織を守るためのルール】になってしまうのです。
(※組織のためのルールも、もちろん必要です)
ここで一度、別の角度から見てみましょう。
ルールを守らない(守れない)人が出てきたら、それは『ルールを守らない(守れない)人を炙り出すことができた』のでなく、『今、ルールを守りたくない(守れない)状態である人を知ることができた』という捉え方をしてみてはどうでしょうか。その人の心の問題だったり自己肯定感だったりトラウマだったり、いろんなことが関係しているかもしれません。【和を乱す(ように見える)人の内側を知るチャンス】だと言えます。
そこを無視し、ルールを破ったことをクローズアップしてその人を責めたり、ルールをさらに厳しくしてみたりすることは、組織運営側としては当たり前である一方で、それだけではそこにいる人たちの心を置き去りにしてしまう懸念が生じるかもしれません。さらには、その状態を放置してしまうと、組織の基盤を揺るがす事態に発展しかねません。
組織運営に頭を悩ませている代表者(リーダー)の皆さん、今一度、ルールのあり方を見直されてはいかがでしょうか。