物事を理解しようとする時、自分なりの方程式やら法則に当てはめて落とし込む人は割といて、特に男性に多いと思っています。
そして、誰かの考えや情報などは簡単には信用せず、必ず疑念の目で見る。信じるに値するような「根拠は?」「エビデンスは?」と求める。
なんでも鵜呑みにするのでなく疑ってかかる。それはとても大切なことで、この社会で生きていくために必要な心構えでしょう。
けれども、人の心には、エビデンスなどありません。突如湧き起こる、その時々の感情の流れには理論理屈など通用しません。本人さえも忘れてしまっているかもしれない過去の記憶やトラウマ、囚われやこだわりなどが絡んでいるかもしれない『心の状態』に、根拠だとかどうとか言われても、、、知らんがな。
その人にも、エビデンスの取れない、予測不可能な感情やら心の状態やらはあるはずなのに、自分のことは何となく横に置いて、人には攻撃的に突いてくることもある。きっとそれは、その人なりの防衛反応。自分の心の中を自分で気づきたくないから、誰かに気取られたくないから、あえて論理的に、事務的に捉え、周りからは触れられないようにする。自分で己の真意を意識してしまうと不安になってしまうのかもしれません。そういう意味では、素直になれず、しんどい思いをしている人と言えるでしょう。
でも、そういう人はなかなか多くいて、自分の状態に気づかず、苦しんでいる人もいるのです。
だからこそ、私のセッションでは、説明のつかない人の心を、なるべく言語化することに取り組んでいます。エビデンスが取れなくて、でも誰かに理解してもらいたくて闘っている人の孤独が伝わってくるから。その人の心を受け取り、代わりに表現して、楽にしてあげたい。
そう思い、日々、誰かの『心の声』を大切に掬い取っています。