それは、誰のためのルールなのか

授業中にトイレに行きたい、という生徒に対して「休み時間に行きなさい」という教育はどうなんだ、といった内容の意見を目にしました。生理現象を我慢させるような指導の仕方は間違っている、と言いたいのでしょう。確かに。けれども先生からすれば、それを簡単に許可したら20人も30人もぞろぞろ行くようになり授業にならなくなってしまうかもしれない、といったところでしょう。きっと、何となく便乗する生徒や、本当はそれほどトイレに行きたいわけでないのに面白がってわざわざ行く生徒もいるでしょう。

ではその時、皆がこぞってゾロゾロとトイレに行くとしたら、それはどうしてでしょうか。

そもそも、授業中にトイレに行かせないようにする決まり以外にも、「?」というルールはたくさんあるはずです。それらは、生徒のためというより先生のため、先生が指導しやすいよう、管理しやすいようにするためであるものがほとんどで、それを生徒達は分かっています。日頃から大人達は「あなたの為だから」と言いながら、実は自分に都合の良い決まり事や意味の分からないルールを作る。それにいつも見張られているように感じているとしたら、ルールから一瞬でも解き放たれる瞬間があれば、そりゃそこに乗っかるでしょう。

生徒達の鬱憤が日頃どれだけ溜まっているかの表れかもしれません。自分が不満に思っていること、ストレスが溜まっていることを、言語化できずともモヤモヤした思いを抱えて来たことを、何らかの形でぶつけたい思いがあるのでしょう。そういう形でしか表現できないのだとしたら、それはまた心配なことです。

では、どうすればいいのでしょう。

これに正解はありませんが、まずは学校側が生徒達を尊重する意識をより高める必要があるかと思います。そして、学校教育におけるルール1つ1つが「誰のためか」と見直しをして欲しいところです。最初は混乱が起こるでしょうし、秩序が乱れるように感じるかもしれません。けれども時間が経過する中で、それらが定着し混乱も少しずつ収まっていくと思います。時間はかかると思いますが、中途半端でなく本気の意識改革が望まれます。そういった取り組みが、子供達の未来を明るくしてくれることを、私達大人が信じて行動を起こして行きたいものです。

もっと言うならば・・・、

学校側からしたら、そういうルールを作らざるを得ないほど、和を乱したり時には危険を感じさせるほどの生徒がいるのかもしれません。こうなってくると、もはや学校というより家庭内コミュニケーションの問題とも言えるでしょう。親のコミュニケーションの在り方が、今の子供達を作っています。親のコミュニケーションの質を上げていくには、、、やはり、親になるずっと以前の、人としての基盤を作る段階を大きく担う学校教育の在り方はとても重要でしょう。何だか、鶏が先か卵が先か、みたいなループに陥りそうです。。。

家庭での親子間・夫婦間コミュニケーションの質を上げていくこと、そして、学校教育の在り方の改革、片方だけでなく、どちらからも考えていく必要がありそうですね。

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